正解があることは楽なこと

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作られた正解


普段何気なく生活していると、いつのまにか、作られた"正解のようなもの"を追いかけていることがある。


良い大学に入って良い会社に入ること、新しいスマートフォンをいち早く手にすること、お金をたくさん稼ぐこと、誰かと結婚すること、、、


正解なんて、この世の中にはないのだと思う。正解があると感じている人は、自分が無意識に、ある形を正解として決めつけているだけだ。


研修生として過ごすようになって、教育においても、正解なんて誰にも分からないなあとつくづく感じるようになった。


本当につらいこと


正解があることは、とても楽だと思う。

もちろん、その正解らしいものに囚われ、その姿と自分の現在の姿とのギャップに悩むことはあるかもしれない。

しかし、その正解らしき光を疑うことなく、追いかけることができる。


本当に苦しいのは、暗闇の中を歩くことだ。どれが本当に正しいものなのか分からない中、それでも自分が信じる光を手繰り寄せ、時にはそれは違う方向かもしれないと迷子になりながらも、それでも懸命に歩く。

それこそ本当につらいことだと思う。

そして、それが真実なのだ。


自然な形


正解がないことや矛盾が存在することこそが自然で、決められた答えなんて何一つもない。


これが絶対的な答えだというものが掲げられているものは怖い。


僕は決して答えがないことを悲観しているわけではない。

むしろ、それに今気づけたことを誇りに思う。


こうあるべきだという正解がない世界に飛び込め、悩めていることは本当に幸せなことだと思う。


理想の世界


大切なことは試行錯誤すること自体なのだと思う。


理想の世界を実現させることよりも、理想の世界を実現させるために悩み、もがくことこそ大事だ。


結局のところ、理想の世界が実現された後にもまた理想が生まれる。


人間は常に何が足りないかを考え、無限に理想を作り続けるともいえるのかもしれない。


本当の意味で、怖いことは今の状態が理想的な状態であると思い込み、現状にあぐらをか

き、努力をやめることだと思う。